「登山は危ないからもうやめたほうがいい」
「本当に気をつけてくださいね」

これ、僕が山に向かう時に必ずといっていいほど言われる言葉です。しかも、いつもだいたい一人で山に登るので、なおさら強く言われます。

ただ、本当に登山は危ないのでしょうか。私は必ずしも登山という行為が危ないとは思いません。もっと正確に言うのであれば、登山だけが危ないというわけではないと思っています。

僕の中の「危ない」という言葉の定義は、「ある物事や行為に対して準備が整っていない状態」を指します。

例えば、東京には高尾山という山があります。標高599mほどの山で、山頂まで1時間半ほどで登ることができます。小学生が遠足で訪れるなど、わりとハイキング感覚で楽しむことができる山です。

しかし、それでも毎年なにかしらの事故やトラブルが起きています。つまり、難易度というのはあくまで目安であって、いくら安全だと思われている山であっても、準備が整っていなければ、危険度は増すということです。

逆に言えば、難易度が高い山でも、きちんと相応の準備が整っていれば、事故やトラブルが起こるリスクというのはゼロにこそなりませんが、かなり下げることはできます。

私は、登山は準備が9割だと思っています。これは、装備を整えたり、読図の練習をしたり、緻密な山行計画を立てることだけにとどまりません。日頃から体調を整えること、筋力や持久力、柔軟性を高めておくこと、そして、様々な危険因子を想像しながら生活することなど、すべてを含んでいます。

日常生活でよく忘れ物をしたり、よくつまずいたり、姿勢が悪かったり、時間にルーズだったり、そういう人がいざ山に行ったところで、良くなるはずがないのです。一概には言えませんが、登山事故の原因の多くはそうしたほんの少しの「準備不足」が背景にあるように考えられます。

安全な山というのは決して存在しません。でも、これは日常生活でも同じです。普段歩いている何気ない道でも、いつ車が突っ込んでくるか分かりません。事実、毎日のようにニュースで目にすると思います。そういう時に、周囲の状況に目を配っているのか、それともスマホに夢中になっているのか。近づいてくる車の音に気付くのか、それともイヤホンで大音量で音楽を聞いているのか、道路から一歩離れて信号を待っているのか、それとも、道路ギリギリで待っているのか。

どんなに気を付けていても避けられない事故はあります。けれど、ほんの少しの意識の差で助かった命も必ずあるはずです。

なので、私は登山だけが危ないとは考えていません。人生のあらゆる場面に危険は潜んでいる。大切なのは、その危険という状況に対してきちんと準備ができているかどうかだと思うのです。

浅野