「ドMなんですね」
トレーニングに打ち込んでいる人であれば必ず一度は言われる言葉です。
この考えに対して、僕は明確な答えを持っています。
そもそも、マゾヒストとは、被虐的行為を愛する性癖の持ち主のこと。つまり、痛みを感じることが目的であり、痛みを感じることが好きな人のことです。
そう考えると、少しおかしなことに気付くはずです。トレーニングをしている人は、痛みを感じるためにトレーニングしているわけではありません。ランニングをしている人は、苦しい想いをしたくてランニングしているわけではありません。山登りをしている人は、ツラい想いをしたいから山登りをしているわけではありません。
決して、痛みを感じたり苦しいを想いをしたりするために、その行為をおこなっているわけではないということ。「トレーニングが好き = ドM」といった、そんな短絡的な話ではありません。普通の人と同じように、痛いのは嫌だし、できれば苦しい思いなどしたくはないわけです。そもそも「頑張る」という行為と「性癖」をリンクさせて考えることに、僕は違和感を感じます。
じゃ、なんでそこまでして頑張るの?と言われれば、やはり、その先にある世界を知りたいからです。
初期スポーツ心理学の土台を築いたブルース・オギルビー博士はこう言います。
マゾヒズムとは自虐的行為のことである。ランニングをこのようなネガティブな言葉でとらえることはできない。
ランナーは、自分の体を限界まで試すことが好きな人たちで、自分の能力を最大限に発揮しなければ気がすまない人たちなんだ。当然、そうするなかで苦痛を感じるだろう。しかし、ランナーは苦痛を感じたくて走るのではない。
自分の力を出し切った時ほど爽快な気分にしてくれることは、人生の中でも、それほど経験できるわけではない。でも、こんな気持ちは、経験したことのない人には分からないものだ。
ジョー・ヘンダーソン著「ランナーのメンタルトレーニング」, 大修館書店, 平成12年, p27
オギルビー博士の考えに則れば、トレーニングをする人は自分の体を限界まで試すのが好きな人たち、ということになります。私も同意です。
基本的に、人は成長することに喜びを感じる生き物です。トレーニングなら先月より3kg痩せた、ランニングなら先月より2km長く走れた、登山なら先月よりも300m高い山に登れた、など、人は自分が成長することに喜びを感じます。これはスポーツに限らず、趣味や仕事にだって同じことが言えるはずです。
当然、成長するにはその時々の自分の限界に挑まなければなりません。ラクをしてもそこに成長はありません。その先にある世界を見るために成長する必要があって、成長するために苦痛を感じなければならないのです。
だから、マゾと誤解される人は、決して苦痛を感じることが好きな人なのではありません。
誰よりも自分の成長に関心が強く、物事に対しての好奇心も強い。そして、誰よりも目標に対して誠実で、生きることに貪欲な人なのだと思います。
浅野